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ウイリアム・ホルマン・ハント
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William Holman Hunt (1827-1910)
イギリス ・ ラファエル前派

ロンドンに生まれる。1844年、ロイヤル・アカデミー・スクールズに入学。そこで、ミレイ、ロッセティと出会いラファエル前派の理論を発展させ、1848年、ラファエル前派を結成した。

1854年、キリストの生涯の場面を描くために、パレスチナの聖地エルサレムへ行く。歴史的、考古学的な事実をつかみとる目的があった。ハントは1869年、1873年にもパレスチナへ行っている。徹底した写実にもとずくハントの宗教画はここに起因する。

ハントはその生涯をかけて、ラファエル前派の概念を守り、例示していった。

ハント 【 クローディオとイザベラ 】 1850-53、79 | 77.5 x 45.7cm | テイト・ギャラリー、ロンドン
典拠はシェイクスピア『尺には尺を』、 あらすじはこちら  
淫乱の罪で投獄されている兄クローディオを、妹のイザベラが訪ねてくる。
クローディオは、アンジェロによって、明日死刑になる身。兄クローディオを救うために、言い寄ってくるアンジェロを受け入れなくてはいけない妹イザベラ。
物語は喜劇だが、この場面での二人は絶対絶命である。

ハントは独房での二人の兄弟の場面を描いた。兄と妹、そして義務と道徳の葛藤を描いた。

クローディオは顔を窓からそむけている。外に見えるのは自由。リンゴの花は命を象徴している。

左下の床に落ちている花は、クローディオが、妹の貞操を犠牲にすることをいとわない気持ちを表している。妹のイザベラは純潔の印、純白の長いワンピースを着ている

イザベラは手をクローディオの胸に置いている。その胸は、現在彼が陥っている状況をもたらした情熱をひめている。

窓辺にあるリュートにかかっている赤いリボンと、クローディオの衣服は、すべて複雑にからみあった情熱の象徴である。

ハント 【 雇われ羊飼い 】 1851-52 | 76.4 x 109.5cm  | マンチャスター市立美術館
1852年のロイヤル・アカデミー展に出品されたとき、カタログにはシェイクスピアの 『リア王』の一節が引用されたが、むしろ当時の動揺する宗教界に対する風刺ととらえられる。

ハント 【 ドルイド僧の迫害からキリスト教伝道師をかくまう改宗したブリトン人の家族 】 1850 | 111 x 141 cm   |アシュモリアン美術館、オックスフォード、イギリス 

ハント 【 世の光 】 1851-53 | 125.5 x 59.8 cm   |マンチェスター市立美術館、イギリス 
19世紀後半、世界で最も有名な宗教画であった。

ハントはこの絵の主題を聖書のヨハネの黙示録3:1、20からとった。

「見よ、私は戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(『新約聖書』新共同訳、日本聖書協会 より)

ラファエル前派の作風に特有なように、ハントの作品には、象徴的な物が描きこまれる。

ここでは、ドアには外ノブがない。これは心の内側からしかドアが開かないことを象徴している。

そしてキリストが歩いている道は雑草でいっぱいである。心のドアはまだ開かれていないことを象徴している。

キリストが持っている7面のランプは、黙示録に書かれている7つの教会を意味している。

地面にころがっているリンゴは、アダムとイブが住んでいた、人間の楽園、エデンの園から追放された原因のリンゴ。人間の原罪を表す。

ハントは『我がイギリスの海岸』で昼の光を描いた。彼の興味は夜の自然の光を描いてみることにあった。

『世の光』の制作のためにハントは暗くしたスタジオ、あるいはろうそくやランプで灯した野外で描いた。そのせいで、町の人々は、ハントが気が狂ったのではと思った。

作品には数ヶ月かかった。作品は批評家に絶賛され、ハントの代表作になったばかりか、19世紀最も有名な宗教画となった。
絵のイメージは石版画や彫版画となり、プロテスタントのイコンとなった。

ハント 【 わがイギリスの海岸、1852年(迷える羊) 】 1852 | 43.2 x 58.4 cm   |テイト・ギャラリー、ロンドン
ハントが自然の光を描いた中で、ベストの絵。1852年、パーミンガム賞をもらった。

ハントが1852年にこの絵を書いたときは、イギリスはフランスの侵入におびえていた。ナポレオン3世がフランスで力を持ち、イギリス侵略を企てていたのである。

当時、イギリスでは外国からの侵入に対して、防衛力の弱さが報告され、それに対する風刺として描いたのではないかとされる。

1855年、ハントは題名を「迷える羊」と改題し、作品に宗教的な意味を与えた。

ハント 【 良心の目覚め 】 1853-54 | 76.2 x 55.9 cm |テイト・ギャラリー、ロンドン
1854年のロイヤル・アカデミー展で物議をかもす。

『世の光』の物質的面で、対をなす作品。室内のセットのために、愛人街に部屋を借りてまで制作した。ハントに特徴的な徹底主義である。

浅はかな顔の紳士が、愛人である女性を引き戻そうとしている。彼女の指すべてに指輪があるのに、結婚指輪だけしていないので、愛人だとわかる。

彼らはトーマス・モアの”Oft in the Stilly Night"を歌って遊んでいた。彼女は突然、啓示をうける。

男のひざから立ち上がり、彼女は陽光に輝く庭を見つめた。庭は後ろの鏡を通して見える。

鏡は女性の失われた純潔をイメージすものの象徴であるが、キリストの救済を示唆するものとして、光に満ちている。

この絵には多くの象徴的な要素がある。

テーブルの下で猫が、羽の折れた鳥で遊んでいる。これは女性が苦境に立たされていることを象徴している。

男の手袋が投げ捨てられている。これは見捨てられた愛人が売春婦へと身を落とす運命を警告している。

床にあるからまった糸は、蜘蛛の糸で、女性がわなにかかっていることの象徴である。

家具はみな新しく、安っぽい。結婚している男の愛人宅であることを物語る。

ラスキンが書いているように、貧しい女性の衣服に、画家の物語に対する苦心が見られる。我々はこの白い衣装がいかに速く、汚れて、道に捨てられるか考えてしまう。

道徳を尊ぶヴィクトリア朝時代のイギリスで、この絵ははじめ、兄弟喧嘩の絵だと、誤解を受けた。

しかし、実際は売春婦を描いたと説明されると、ハントのファンはショックを受けた。
当時、売春婦は、家族を守るために生きている世の女性にとって脅威であり、そのことにふれる言質はタブーですらあった。

ハントは宗教心が厚いので知られていた。しかし、あえて彼は愛人、売春婦に対して同情心を持って描いた。問題作と言われた由縁である。

精神的な意味やメッセージは無視して、批評家たちは刺激的な情報に集中してしまう。

この絵のモデルはハントの恋人のアニー・ミラー。教育のない女バーテン。1850年、彼女が15歳の時にハントに出会った。

ハントは、ヒギンズ教授ではないが、彼女を教育してレディに仕上げようとした。

ハントが中東へ旅に出かけたとき、友人のフレデリック・スティーブンに彼女の面倒をみるように託した。しかし、その間、恋人ミラーはロセッティに出会い、二人は恋人になってしまった。

ハントがミラーの浮気を知ったとき、彼は絵の女性の顔を塗りなおした。最初、展示されたときは女性の顔は、罪の意識に打たれ、恐れているのがはっきりと出ていたのだが、それを取り除いてしまった。

ロセッティとの友情は終わった。

ミラーはラファエル前派の絵画のモデルをいくつか務めた。ロセッティの『トロイのヘレナ』もその一つである。

ハント 【 贖罪の山羊 】 1854 | 85.7 x 138.5 cm |レディー・リヴァー美術館、ポート・サンライト、イギリス

ハント 【 エジプトの夕映え 】 1854-63 | 185.4 x 86.3 cm |サウザンプトン市立美術館、イギリス

ハント 【 神殿で見いだされた主キリスト 】 1854-55 | 85.7 x 141 cm |バーミンガム市立美術館、イギリス
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ハント 【 無為の楽しみ 】 1860 | 99 x 82.5 cm |フォーブズ・マガジン・コレクション、ニューヨーク

ハント 【 死の影 】 1870-3 | 92.7 x 73 cm |マンチェスター市立美術館、イギリス

ハント 【 イザベラとメボウキの鉢 】 1876 | 187 x 116 cm |レイング美術館、ニューカッスル・アポン・タイン、イギリス
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典拠はキーツの詩、『イザベラ、あるいはメボウキの鉢』


ハントは、キーツの詩「イザベラ」に触発されて、この絵を描いた。

イザベラは恋人ロレンツィオに思い焦がれ、彼の首を鉢の中に入れ、バジルの種をまいた。鉢の頭蓋骨の取っ手がそれを示唆しているし、鉢が棺桶であることの象徴でもある。

ハントは彼の妻ファニーをモデルにした。一般的に、この主題の絵のヒロインは血の気の無い姿で描かれるが、ハントにはそれができなかった。

妻は8ヶ月の身重であった。作品は1866年9月、二人がフィレンツェにいたときにできた。

妻のファニーは身重にもかかわらず、何時間もフィレンツェの暑気の中モデルを務めた。

息子が10月に生まれた。しかし妻ファニーはすぐ後、12月に息を引き取った。結婚して一年も経っていなかった。

絵は183cmを越える大きさで、中身は約186cmX 115cmである。ハントにとってこの作品は、亡くした妻と等身大の絵であり、喪の儀式となった。

ハント 【 無垢(むく)の勝利 】 1883-4 | 157.5 x 247.7 cm | テイト・ギャラリー、ロンドン
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この絵の主題は、エジプトへの逃避である。マリアとヨセフ、幼児のキリストがヘロデ王に殺されると天使に告げられ、エジプトへ逃れる場面である。

ハントは初め、単に聖家族を描こうとした。しかし、ヘロデ王が虐殺した、聖なる無垢な子供を描き入れることを決意した。(幼児虐殺)

彼らの月下の旅を描いている。聖家族がヘロデ王に殺された幼児の聖霊に囲まれている。

幼児たちは、足首と頭に花輪をつけ、シャボン玉の泡の流れに沿って歩いている。

行列を導く、シャボン玉の泡、あるいは、空気の天球は、ハントによれば、波打つ「永遠の命の流れ」を意味する。

その流れは救世主が訪れる時代へと流れていることを象徴している

ハント 【 モードリン・タワーの5月の朝 】 1890 | 154.5 x 200 cm | レディー・リヴァー美術館  ポート・サンライト

ハント 【 シャーロットの女 】 1886-1905 | 188 x 146 cm | ウォズワース・アテネウム、ハートフォード、コネチカット州、合衆国

ハント 【 シャーロットの女 】 1889-92 | 43 x 36 cm |マンチェスター市立美術館、イギリス

ハント 【 プロテウスの手からシルヴィアを救い出すヴァレンタイン 】 1851 | 98.5 x 133.3 cm |バーミンガム市立美術館、イギリス
典拠はシェイクスピア『ヴェローナの二博士』

 ハント 【 イギリス皇太子成婚の夜のロンドン・ブリッジ 1863年3月10日 】 1863-6 | 65 x 98 cm |アシュモリアン美術館、オックスフォード、イギリス
この絵は、1863年3月10日、デンマーク王女と後のエドワードZ世との婚姻の時のロンドン・ブリッジに集まった群集を描いたものである。ハント自身も、この群集の中にいた。

ハント 【 アマリリス 】 1884

ハント 【 カイロの通りーカンテラ職人の求婚 】 1854-61 | 54.6 x 35 cm  |バーミンガム市立美術館、イギリス
ハントがカイロに旅行したときに出くわした主題。

この場面は、地元のマーケットでハントが見た出来事が元になっている。しかし、モデルをさがすのが難しかった。地元の人はイスラム教の戒律があり、ハントの絵のモデルになるのは禁じられていた。

ハントはスケッチをして、イギリスに帰って仕上げた。

モデルの女性は、ギザの地元民で、ピラミッドを見に出かけたときに見つけた。ハントは、彼女の家が遠いので、家の人にばれないから、と言ってモデルをさせた。


絵はランプ職人と彼が求婚しようとしている女性の物語である。

彼女は宗教的理由で、顔のヴェールを取る事は許されない。そこで彼は彼女のヴェールの上から顔を触り、顔かたちを感じている。

彼女は半分気乗りで、半分慎重に、彼の腕をつかみ払っている。

背景はカイロの喧騒である。シルクハットの男はミレイで、ロンドンのアトリエでモデルとなる。

ハント 【 エジプトの夕映え (小) 】 1861 | 82 x 37 cm |アシュモリアン美術館、オックスフォード、イギリス



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